板野肯三 / Kozo Itano
1948年岡山県倉敷市の生まれ。東京大学理学部物理学科卒。理学博士。専門はコンピュータ工学。
筑波大学システム情報工学研究科長、学術情報メディアセンター長、
評議員、学長特別補佐を歴任。現在、筑波大学名誉教授。自然や科学全般に幅広く関心を持って活動し、
研究室で一粒の種から500本以上の茎を出す稲を育てたこともある。ソロー学会の会員でもある。
現在、カタカムナを世界に広める会会長。
日本で初めてUNIXを動かしたという面白い実績があり、当時UNIXの解析や日本での普及に尽力した一人である。
もともとコンピュータのシステム系の専門家で、
ソフトウェアとハードウェアの両方に通じている。1981年頃にはアメリカのメリーランド大学に客員
研究員として滞在していたことがある。
アメリカから帰国後は、VAX上でBSDを稼働させ、当時研究室ではUNIXが標準の道具になっていた。この研究環境から、
多くの若い研究者たちが巣立っていった。そしてコンピュータの研究の傍ら、
ハイポニカの野澤さんと知り合ったことで、
彼のトマトに刺激を受けて、稲を育て始める。
この稲を育てる中で希薄溶液による水耕栽培法を編み出す。
2007年に、神秘体験をし、それがきっかけで、色々なものが見えるようになり、植物との間での交流も始まる。
「目に見えないからと言って、それがないわけではない。」が彼のモットーとする言葉。こういう科学の世界で認められて
いないことを口にするのは、勇気のいることである。
しかし、2018年11月末頃から意を決して、コンピュータ系の専門以外の本をエッセイとして出版し始めた。「地球人のための超植物入門」「稲はどこまで成長するか」「水のはなし」
「続水のはなし」「心は脳の活動から生まれるのか?」「森と樹木のはなし」
「人間はサルから進化したのか?」「お金は木の葉か?」「赤いセラミック」「科学を超えて(改訂増補版)」
「ベーグルパンと赤ワイン」「パワーストーンの精霊たち」「デカルトの夢」「パワークラウド」
などの本を立て続けに出版している。
この間、絵も描いていて、作品数は千点を超える。水彩とアクリルを主体としていて、
目に見えないエネルギーを目に見えるように表現したいという思いが強い。
本格的な自然というものに触れるには、実際に現地に出かけてみるしかない。自然との出会を求めて、この頃は
よく山に登っている。ちょうど本を書き始める直前には、屋久島と青森に出かけた。高尾山には頻繁に登っている。
次の写真は、いまオレゴンにいる私の研究室の卒業生が、私の本を読んで現地から送って来てくれたものである。
カタカムナを世界に広める会
2025年定期後援会案内カタカムナを世界に広める会がめざすもの
-ほんとうの自分を知るために-
シンプルなものは真実であるということがある。 逆に、真実はシンプルであるとも言える。 これは、科学の世界において知られている真理である。 カタカムナはどうかと言うと、これは、とてもシンプルで、 私たちをほんとうの世界に導いてくれる素晴らしい魔法のような道具なのである。 そして、この力は、目に見えない世界のなかにある。 今は、多くの人が、目に見えるものだけを追いかけていて、それがすべてだと思っているのである。 偉大なる勘違いと言ったらいいだろうか。 では、カタカムナとは何か? 実は、カタカムナは、日本語の音のルーツであり、 この日本語の音には、力が宿っているのである。 そして、カタカムナのうた(ウタヒ)には、根元的なものにつながるエネルギーが封印されていて、 これを謡うことで、人間が本来持っている力が自然に開花するようになっている。 すでに、多くの成果が得られていて、これは、奇跡のような、魔法のようなものであるが、 これは、科学でもある。 人間の心に穏やかな思いやりのある和の精神を呼び起させるような力さえある。 カタカムナの真髄を要約するとしたら、マノスベとミクマリということになるだろうか。 簡単に言うとしたら、マノスベは宇宙の摂理に関係し、ミクマリは生命の原理に関係する。 私たちは、今の混乱した世界に光をもたらすために、カタカムナの奥義を紹介したいと思っている。
マノスベの奥義
日本の「和の精神の真髄」は、カタカムナのマノスベにつながっています。 カタカムナは、古代から伝わる叡智であり、その中で、マノスベとは、 自然の摂理とか宇宙の理法のような意味であり、 「本来のあるがままに」というような意味合いで、日本の和の精神の本質を表しているようなところがあります。 一般的に、精神性をいう時、現代文明における人類の精神性の3つの柱は、 ギリシャに始まる自由の精神、キリスト教や仏教などの宗教における愛と悟りの精神、 そして、人々を結びつける和の精神です。 実は、この精神性の向上というものは、個の力を究めて伸ばしていくという方向と、 集団の力を伸ばしていくという方法の両方があり、最終的な局面では、 集団で生き延びるには、和の精神が必要なのです。 実は、カタカムナのウタヒに隠されている真理(サトリ)は、この両方を貫いています。 なぜ、今、カタカムナなのかというと、人類を分断している物質主義の世界観に、 光をもたらすものであるからです。 今、人類に必要なのは、和の原理につながるマノスベのサトリであると言えるでしょう。 マノスベは自然界を貫く生命の原理でもあり、人類がいかに生き延びることができるかということのヒントを与えるものです。 本会では、カタカムナの世界観を広い意味で捉え、 これが人類が違いを超えて手をつなげる基盤になることを目指して活動したいと思っています。 これは、言葉を変えると、霊性の目覚めでもあるのです。 カタカムナという言葉自体が、私たちが根元的な存在から生まれた神の子たちというふうにも解釈できる言葉であり、 私たち人類が本来の姿に立ち戻らないといけないということを示唆している言葉でもあります。 民族や宗教や人種や文化といった違いを乗り超えて手を結ばないといけないときが来ているのです。 なぜなら、私たちは、同じ根源的な存在から生まれた仲間であるからです。 宇宙時代に向けて、地球人としての自覚を持てるようになれるかどうかが問われているのです。 カタカムナの本質は、宗教的ではなくて、科学的であり、 カタカムナには、科学的叡智につながる本質が含まれています。 古代文明の叡智につながっていながら、モダンなところがあるのです。 カタカムナは、カタカムナであって、カタカムナではないところがあります。 それは、カタカムナが宇宙の本質を映しているからです。 カタカムナには、単なる理念や観念を超えて、人類を霊性に目覚めさせる力があり、 目に見えない世界の真実を多くの人が感受することで、この世界が、自然に変わっていくだろうと私は思っています。 感受とは、カタカムナの言葉で、自らの魂と心と体で、その本質を受け止めることであり、 そうすれば、何がやりたいのかは自然に分かってくるでしょう。 そうでなくては、世の中は変わってはいかないのです。 それこそが、目覚めなのです。 カタカムナに目覚めるとは、神の子の存在としての自分に目覚めるということなのでもあるからです。
今の時代にむけて
みなさんは、今の世の中を見て、何を感じておられるだろうか? 人類は、21世紀になってなお戦争をしているし、コロナウイルスのような疫病が流行し、 気候変動に苦しみ、暮らしは昔と比べて、決して良くはなっていない。 なぜ、このようなことになってしまったのか? これは、私たちが大事なことを見失ってしまっているからではないのだろうか? それは、目に見えるものしか分からなくなり、エゴを増大させて、私だけがという思いが増幅し、 多くの分裂の故に、見えなくなってしまったものがあるからだ。 日本という国は、そういう中でも頑張っているのだが、 世界の潮流は、分裂と破滅へと向かっていて、多くの人が、どうしたらいいのか分からなくなり、希望を失っている。 だが、この深刻な事態を乗り切るには、小手先では、どうにもならない。 本質に立ち返るしかない。 私たちは何者で、なぜ、今、ここに存在しているのかということである。 だから、私は、「霊性の目覚め」ということを言っているのだが、 最近、面白いものに出合った。カタカムナである。 カタカムナというのは、日本の和の精神に通じる世界観を持つ叡智の体系であり、 目に見えない世界の枠組みを示している。その中で、中心に来るのは「マノスベ」というもので、 これは、この宇宙の摂理のようなものである。 今、人類が必要としているのは、このマノスベの精神かもしれないという気がする。 本当に大事なものは、目に見えない世界の中にあるということだ。 そして、これは、霊性の目覚めに通じるものである。 カタカムナを世界に広めるというのは、まさに、このカタカムナの精神を、世界に紹介しようするものである。
『マノスベの奥義』(執筆中)

カタカムナとは?
カタカムナという言葉の意味は、日本語の言葉に類似のものがないので、はっきり言って、 そのままでは、自然には、分からない。 だから、カタカムナという5つ文字の音の図象符の原意を見る必要がある。
①十字の右についている小円は根源的なものを表す。
②この小円が左下に来ると動きを表し、これが拡がっていくという動きであるという具合である。
③下に来ると存在を表すことになる。
④丸い大円は世界とか宇宙を表し、そこに横棒が入ると創造とか発生を意味するようになる。
だからこの5つが組み合わされたところで何を表していることになる。 ちなみに「カタカムナ」に関する私のいくつかの解釈を上げておこう。
①あらゆる生きとし生けるものの創造と存在。
②私たちの世界は、根源的なものから発生した生命がこの世界に拡がり存在して姿である。
③生命の根が根源的なものより分かれて発生し、根源存在が拡がり、変化してきた。
たとえば、このようになる。 となると、これは、すごいことを言っているということになる。 分かりやすく言うと、これは、「私たちは、根源的な存在から分かれた神の子である」と言っているのである。 これは、私たちが認識すべき、最も重要なことであり、 私たちが、根源存在としての神の一部であり、偶然に存在する意味のない、 取るに足りないようなものではないのだと言っているに等しい。 そういう自覚を持てと言っているのが、この「カタカムナ」という言葉である。 だから、このカタカムナ自体が、箴言でもあり、普遍的な真理でもあるということになる。
Profile
BOOKS
#1 2018.11.5
『地球人のための超植物入門』(アセンド・ラピス)
私のエッセイとしての源流にあたる本である。「はじめに」と「おわりに」の間にある29の章に、
それぞれ独立のテーマに対する思いが語られている。いろいろな場所に出かけて行って、その場の
自然や樹木や花たちとの交流をエッセイの形で表現してある。私にとっても思いで深い。
それだけ、自然というものには奥行きがあるということだろう。
#1B 2021.1.31
『Whispers From the World of Plants』(Nagasakiya Genemon Matsuei Publishing)
Translated by Timothy Wendland
本書は『地球人のための超植物入門』の英訳版である。
#2 2019.4.30
『科学を超えて』(改訂増補版)
初版は 2018.10.31に発行されたが、この改訂版である。初版は12章であったが、
大幅に増補して、18章にした。
この世界の成り立ちが、物質的な枠組みだけで成り立っているわけではないということを、
いろいろな角度から論証するエッセイである。散逸理論や自己組織化から始まり、
生物の個体発生、進化論の枠組み、人工知能とニューラルネットワークと比べながら、
脳の活動から心が生まれるのかという根本問題にも迫る。最後に、この世界の中に
内在している美というものを通して、この世界は、偶然に出来上がったのではないと
著者は語っている。
#3 2018.11.15
『稲はどこまで成長するか』
筑波大学に在職していた当時、何年か自室で稲を育てていたことがあった。
今から二十五年ほども前のことである。
専門はコンピュータであったし、不釣り合いなことではあったが、
私としては、どうしてもやってみたいという思いを止めることができなかった。
専門外であることをいいことに、独自のやり方をとることになったが、
それでも面白い知見が得られたということである。幸い、育てた稲は、
一粒から五百本以上の茎が出て、巨大な株に成長してくれた。花も咲いたし、実も実った。
これは、その記録である。
研究成果として見るには、事実の記録の仕方や検証の仕方に甘いところがあるが、
一度だけの試行で、再現性を求めるところまではいけなかったし、
そもそも再現性のないことに踏み込んでいたということもある。
栽培法ということでは、やっているうちに面白い栽培法に行きついた。
培養液を、ものすごく薄くしていく方法である。この本では、稀薄輸液栽培法と呼んでいる。
このやり方は、私にはとても理にかなった方法のように思える。
この栽培の基本的な考え方は、この本の中に書いてある。
今時だと、すぐに知的所有権とか、特許ということになるのだろうが、
この栽培法は、敢えて公開することにしようと思う。やっていて自然に思いついた方法であるし、
そういう意味では、私がごりごり考えたわけではないので、特許を取る謂れもないだろうと思うのである。
キュリー夫人の真似をしているわけではないが、誰かの役にたてばいいのではないかと思っているだけである。
お聞きいただければ、もっと詳しく説明することもできる。
私にとっては、生きものを扱うのは初めてのことであったが、
稲に潜在する生命力に触れることができたことに感謝している。
客観的でない部分もあるが、それは、専門外であるということで御容赦いただきたいと思う。
#4 2018.12.25
『水のはなし』
私たちの体の七割は水でできている。
水の存在がこの地球の環境そのものであるようなところもあるし、
動物にしても、植物にしても、水は、生きていく上になくてはならないものである。
私たちの身近にあって、あまりにもなじみが深い水であるが、
実は、科学的には、よく分っていない物質なのである。
水そのものについて、科学はあるところから先に踏み込めていない。
この水のことを、最初に、いろいろと考えさせられたのは、
大学に在職中に、密かに稲を育てていた時のことであった。
植物を生かしていくための環境はそう簡単には作れない。
特に、いろいろな装置をいかに水漏れしないように作り上げるかに苦労したが、
いろいろと試行錯誤しながらやっているうちに、何がポイントで何が難しいのかが、少しずつわかってきた。
そして、私たちが水を見て何かを直感的に感じとることと、
科学の枠組みの中で水が何であるのかを究めることの間には、大きなギャップがあることもわかった。
稲を育てていた時に感じたことは、少なくとも、水は稲の生育を決める重要な要素であるということだ。
稲が水に影響を与えているのか、あるいは、水が稲に影響を与えているのか。表と裏のようにさえ感じたものだ。
水の状態を測るには、水の中の成分の組成を精密に測定する道具がある。
ICP(発光吸光分析装置)を使えば、千分の一ppmのレベルまで測定はできる。
まあ、現実にそこまでの精度を出すのは、難しいが。
ペーハーなども簡単に測れるし、今は、イオンごとの濃度も、リアルタイムで測れる。
溶存酸素量とか、酸化還元電位とか、いろいろな項目の測定をすることができるのだが、
それですべてが分ったような気がしないのである。
わたしは、稲の栽培の経験の後、酸化還元電位をひとつの尺度として使うようになった。
まだ他のものがあると直感は言っているのだが、まずできるところからやるしかない。
この酸化還元電位は、ある程度低い方がいいのであるが、
身の回りの水の酸化還元電位はそれほど低くはない。
この本で私は、この「水の酸化還元電位を下げるにはどうすればいいか」について、
実験した結果を書いていきたいと思っている。
どうも、この酸化還元電位の変化は、生命活動と深い関係があるように思えるし、
自然の中に存在する水と、私たちの身の回りにある水は同じではないような気がするのである。
案外、水は、とても神秘的な物質なのかもしれない。この本の中に書けることは、
わずかな、その一端であるだけであろう。
しかし、そこから、読者のみなさんの、ものごとの見方が、少しでも拡がれば、望外の喜びである。
少し専門的なことになるが、この本の中では、酸化還元電位の値は、
標準水素電極を基準にしたEhではなく、生の電位を使っている。
なお、この本では、多くの写真や測定データを掲載するが、
ひとつのスタイルとして、エッセイの形をとりたいと思っている。
私が最終的に得た成果というよりは、そのプロセスをそのまま、
一緒に体験していただければ楽しいのではないかと思うからである。
#5 2019.1.18
『続水のはなし』
本書は、「水のはなし」の続編であるが、少し技術的な観点から詳細をまとめてみた。
酸化還元電位にしても、ひと筋縄ではいかないところもあり、とても苦労した。
そういう、ある意味、実験的なことの裏で起こったことや、
気の付いたことをまとめているので、関心のある人には、役に立つかもしれない。
一般的な読み物ではないので、関心のない人が読むことは想定していない。
かといって、学術論文でもないので、エッセイというスタイルは保ちたいと思っている。
水というものは。私たちの、とても身近にありながら、良く分らないところがあり、
実に奥が深いところがある。
この本で触れていることは、その一端であって、すべてではないし、
科学の論証ということになると、そういうことの土台にのることもあるし、
のらないものもある。
その奥の深さというものを味わっていただければ幸いである。
#6 2019.3.1
『心は脳の活動から生まれるのか?』
ちょうど二十世紀の半ばころに、コンピュータが登場したことで、
人工知能への夢が描かれるようになった。
脳の神経細胞を調べ、脳と同じような神経のネットワークを作れば、
そこから心が生み出されるのではないかという風に考えられたのである。
思考を司る脳が、人間の体の中で一番心に近いと考えるのはごく自然なことである。
日本人なら誰でも、いつか鉄腕アトムのように人間と同じ心を持つロボットが作られ、
人間の友達になる日が来るかも知れないと思っていたはずだ。
だが、こうしたコンピュータによる脳と心の研究は、道半ば、
あるいは、道程の一割くらいまではいけたかも知れないが、
根本的な成果へとは行きついていないのが現状である。
脳と心というテーマは、難解である。
現在の先端科学のひとつである脳科学の領域でも、全貌が捉え切れておらず、
ナイーブな仮説から抜けられない段階にある。
この本で、私は、脳の活動から心が発生するのではなく、
心は魂の活動であるということを科学の言葉で詳しく説明していくが、
問題の性格上完全な証明は難しい。
魂の入っていない状態で脳を働かせてみることができれば、
心がそこにないことが分かるかも知れないが、
魂を抜くと人間は生きていられない。
あるいは、魂がこん睡状態のようになれば、いわゆる植物状態であって、
これでは、脳が働くどころではない。
そういう検証は、原理的に困難である。
だからと言って、脳の神経のネットワークという機械システムの中から、
心や意識が生まれるとは考えられない。
十六世紀に生きたデカルトは、現在の実証主義的な科学の考え方の基礎を作ったが、
同時に、魂の存在と脳の関係についてのモデルを提案した人物でもある。
今、もう一度、デカルトに立ち返る必要があると考えているのである。
#7 2019.3.1
『森と樹木のはなし』
樹木の育ち方は、人間の時間感覚からすると、とてもゆっくりしている。樹木の種類にもよるが、
そう簡単には大きくならない。
同じ草木でも、花とか野菜などであれば、数か月の間に芽を出し花が咲くところまで行ってしまうが、
樹木は大きくなるのに何年もかかる。
十年という時間は、樹木にとってはたいして長い期間ではない。
針葉樹の仲間は特に成長が遅く、百年単位で考えなくてはいけないものも少なくない。
成長が早いといわれる杉でも、あるサイズになるには数十年はかかる。
ただし、果樹の中には、実が取れるようになるまでの時間が短いものがある。
桃栗三年柿八年というように、結構早い時期から実をつける。
不思議なことに、こういう果樹は、すべてではないが、
バラ科であることが多い。
花の血が入っている樹木である。
人間が実をとったり、花を楽しんだりする植物は、
一般の樹木よりも早熟なのだろう。
しかし、一般には、樹木は簡単には育たない。
言い換えると、人生のスパンが人間とはけた違いに長い。
こういう特性が、どうしても、人間の日常的な関心から樹木を遠ざけてしまいがちなのである。
私にも同じようなところがあった。
樹木の命の営みが目に入っていなかったということだ。
それが、ある日を境にして変ったのである。
木にも魂が宿っていて、その木の精霊と話をすることができるということが分かったからである。
この本は、この木と話した私の体験をもとに書かれている。
木は、物ではないのだ。文字通り木が物だと思っている人はさすがにいないと思うが、
木が我々人間の仲間なのだと思っている人は少ないだろうと思う。
だが、実際に木と友達になると、自然に対する見方が一変するのである。
それは、理屈で生命が大切だと考えるのとは、また違う次元の話なのである。
樹木と友達になるには、まず人間の時間軸から一旦外れ、
何百年も生きる樹木の時間感覚で、彼の一生に思いを馳せてみることである。
そうすれば、木の気持ちに共感することもできる。
そういう風に思って、この本を楽しんでいただければ幸いである。
#8 2019.3.25
『人間はサルから進化したのか?』
この『人間はサルから進化したのか?』という本を書くにあたって、
何を前提にして、どこから話を展開すべきか、いろいろ迷ったが、
まずは、今の科学で明らかになっている話を一つの基準として出発することにした。
進化というテーマは、地球の歴史が問題となる領域であるが、
本当のところ過去の地球がどうだったのかは、
実際に行ってみることはできないので分からない。
化石だとか、地層だとか、放射性同位元素の分析とか、
そういうものから推定されている地球の過去の姿を一つの参考としている。
また、二十世紀の終わり頃からスタートした、
進化発生生物学のような研究分野のもたらしている研究成果は、
古典的な進化論の枠組みとはかなり違う方向にいっていて、とても興味深いものがある。
これは、ひとつの種であるとか受精卵から、
どう体が出来上がっていくのかという、とても不思議な、
進化と個体発生という二大分野にまたがる話であって、
いろいろな知見などを総合して、何が本質なのかということに、
私なりに迫ってみたつもりである。
もうひとつ大事なことは、生命体には魂が宿っているという観点である。
これは、今の科学では、当たり前のことにはなっていないのだが、
私の目には、確定的事実なので、これは、話の前提として、もう一つの柱として、話を進めている。
なお、本書についても、著者としての私のエッセイというスタイルは貫くことにした。
読者のみなさんにお役に立てるようなことが少しでもあれば、望外の喜びである。
#9 2019.3.31
『お金は木の葉か?』
この世界には、二つの価値観が交錯している。
ひとつは、物質的価値観であり、それはどういうものかというと、
お金で何でも買えるというものである。もうひとつの世界は、これとは対極のところにある。
お金では買えないものがあるという価値観である。
私たちは、この二つの価値観のどちらか一方に触れるだけで生きていくことは難しい。
現実の世界というのは、基本的なところが、物質的価値観を中心に動いていて、
これを無視して生きていくことはできないからである。
一方で、私たちには、お金では買えないものがあるということは良く分っているのである。
自ら、この世界との交わりを断って、自給自足の生活をすれば、
物質的価値観から逃れることは可能かも知れないが、現実的には、そういうわけにはいかないだろう。
お金では買えないものと言うのは、例えば、人間の心の中にあるものであり、
これは又、この大自然というものを貫いている世界の中に存在する絶対的価値でもある。
お金が木の葉という話が出てくるのは、トルストイの小説『イワンのばか』である。
この話の中で、イワンに捕まってしまった小悪魔が、樫の葉を金貨に変える方法をイワンに教えるのだが、
イワンは、この金貨を子供の遊びの道具だとしか思っていない。
そう、イワンは、この世界に住んでいながら、非物質的価値観の中で生きているのである。
ここには、いろいろな思いが込められているということだろう。
今の世の中で、マウスのワンクリックで多額の利益が生み出されるような世界というのは、
まさに、この小悪魔の魔法のようにも見えてしまう。
そして、お金というものに、本質的に価値があるのかという、
原理的なところが問われているということでもある。
まあ、それだけ、お金には魔力があるということなのだろう。
今の時代の情勢に、何故かマッチする話なのである。
この世界は、一見、お金に支配されているように見える。
しかし、よく見てみると、そうではないところも見えてくる。
どうしてこうなっているのかというと、それには結構深いところに原因がある。
それは、私たちの目には見えないものがあるからだ。
目に見えないものがあるのか、ないのかという、その部分に秘密が隠されているのである。
その目には見えないものに、自らの洞察力で迫ることができる人には、その奥にあるものが開かれてくる。
そういうことなのかも知れない。
本書の中では、このお金のことについて、その本質は何であるのかということについて、
考えてみたいと思っている。
#10 2019.4.10
『赤いセラミック』
私の本の中で、この『赤いセラミック』という本も、
少し変わったところのある本かも知れない。
まず、ひとつ言っておかなくてはいけないことは、これは、「おはなし」ではないということだ。
このセラミックは、実際に作られたもので、この本は、
この実際に作られたセラミックのことを書いているということである。
もう一つは、なぜ、このセラミックを作ったかということについては、
敢えて、ここでは触れていない。これは、未来の課題ということになっている。
三つ目は、この「赤い」という名前は、
アメリカインディアンのシアトル大酋長に因んでつけてあるということである。
この色が、今にも、誇り高い彼らの肌の色を象徴するかのような気がしてならないからだ。
ということで、この本を書いてみた。
#11 2019.5.10
『ベーグルパンと赤ワイン』
ベーグルには、どことなく、おしゃれなイメージがある。
それは、今のニューヨークやモントリオールと言った町のモダンな文化の代名詞のようなところに
つながっているからかも知れない。
朝、コーヒーを飲みながらベーグルの食べるというのは、いかにもおしゃれなところがある。
それと、このベーグルというパンは、単にパンというだけではない存在感がある。
ベーグルというのは、これだけかじっていても、結構な満足感があるパンなのである。
噛むほどに、味わいがあるのだ。だから、癖になると病みつきになる。
パンにあって、パンにあらず。
そういうところが、このパンにはある。
もともと、このパンは、ユダヤの貧しい人たちの食べる食べ物であったということもある。
宗教的な戒律のもとに生まれたパンということでもあるし、
べつの意味からは、植物性の素材でできた食べ物で、それでいて、腹持ちがとてもいいのである。
そういうことと、今の時代の中でのおしゃれなイメージが、
輻輳しているのが、このベーグルかも知れないという気がする。
そういうベーグルが、日本にも静かに広がってきているのは、とても興味深い。
一方で、ワインというのは、これはブドウから作るお酒である。
これも、歴史のあるお酒で、ヨーロッパでは、古くから作られていた。
日本だと、日本酒ということになるが、ワインや日本酒の原点のところを探ると、
これは、もともと、庶民のものである。
自然からとれた恵みに感謝する、そういう文化につながっている。
日本のドブロクとかも、もともと、農家の人たちが、自家醸造していたものである。
ヨーロッパでも、自分でワインを作ってたのしむという文化が残っている。
日本の財務省に、そういうものへの粋な計らいがないのは残念なことである。
この本では、岡山の祭り寿司も取り上げているが、これも、庶民のものである。
庶民のものであると同時に、自然というものとの間をつないでいるものであるということがある。
そういうことの中に、ものごとの本質を見出していくにはどうすればいいのかということだろう。
『ベーグルパンと赤ワイン』というこの本を、そういう思いを込めて書いてみた。
#12 2019.4.30
『BEYOND SCIENCE』
「科学を超えて」の日本語と英語版を分離して、日本語のみにしたバージョン。
#12 2019.4.30
『BEYOND SCIENCE』
「科学を超えて」の日本語と英語版を分離して、英語のみにしたバージョン。
#14 2019.5.7
『パワーストーンの精霊たち』
石にも、人間にも魂があるということを忘れてはいけない。
その魂というものと、肉体としての体であるとか、石としての表現というものと、
この表現の中にある波動というものをどう理解するのかということになる。
こういうパワーストーンの世界は、今はまだ、科学の対象にできるような段階ではなく、
スピリチュアル一辺倒の世界である。
目に見えない、科学の観測にかからないという意味では、
物質的なレベルから、何の証明もできない世界なのである。
しかし、だからと言って、何もないのかというと、そうではないだろう。
アセンド・ラピス
#1 2018.11.5
『地球人のための超植物入門』(アセンド・ラピス)
私のエッセイとしての源流にあたる本である。「はじめに」と「おわりに」の間にある29の章に、
それぞれ独立のテーマに対する思いが語られている。いろいろな場所に出かけて行って、その場の
自然や樹木や花たちとの交流をエッセイの形で表現してある。私にとっても思いで深い。
それだけ、自然というものには奥行きがあるということだろう。
#2 2024.6.10
『地球人のための超科学入門』
アセンドラピスからの地球人シリーズの第2弾。

長崎屋源右衛門末裔出版
KDPより直接出版
その後の統合版シリーズ

KDP Direct Publishingより直接出版(2023.11~)
①いま霊性の目覚めのとき(統合版)
統合版の第一冊目の本であり、それまでキンドル電子版で、出版していた五つのエッセイを合冊するとともに、三つの書籍も合冊した。
五つのエッセイは、「いま霊性の目覚めのとき①黎明編」「いま霊性の目覚めのとき②陰陽編」
「いま霊性の目覚めのとき③宇宙編」「いま霊性の目覚めのとき④科学と芸術編」
「いま霊性の目覚めのとき⑤神は存在のエネルギー」である。
「人間死んだらどうなるのか?」「人類は地球人になれるのか?」「違いの本質」は、紙で出版していた本である。
この本は、私が多くの人を霊性の目覚めに導けないかと思って書いた本で、
これは、私の哲学的認識に基づいて書かれている。霊性に目覚めるということが、
今のような唯物的な価値観が全盛の時代にくさびを打ちこむのに、最も大事なことだと思っている。
これは、単に霊的な世界があるということが分かるというだけではなくて、
この世界に生まれてきて生きている意味を知るということであり、
それこそが、ものごとの出発点であると考えている。
②女性性と日本の精神性(統合版)
統合版の第二冊目の本である。
この本は、最初、女性性のことを、シリーズで電子版でだしていて、そこに日本の精神性という題の本を加えて、
「男と女のパートナーシップ」名前の本で出版していたが、内容を少し改訂して、
「女性性と日本の精神性」という題で、統合版シリーズで、再出版した。
もとの電子版でのタイトルは、「ツインソウル – 魂のパートナ」「子ども天からの預かりもの」
「女性の逆境の意味を考える」「宇宙時代の女性たちへ」「日本の精神性」である。
この本には、男性性とか女性性という言葉が出てくる。
これは、肉体としての男性であるとか女性というものとは、また違ったもので、魂の属性を言っているのである。
男とか女というのは、男の体に宿るから男なのではないし、女の体に宿るから女なのでもない。
魂のレベルで、男の魂とか女の魂というものが存在している。
という基本的な原理から出発して、女性の魂のもつ本質である女性性の力がどのようなものであるかを、
ここでは説明しているのである。というのは、この女性性の力がなければ、この今の世紀末の混乱を収めることは難しいからである。
この女性性の力というものが、案外、多くの男性にも、女性にもそられておらず、
この意味での霊性の目覚めも必要なのである。
③自由と発展の本質(統合版)
本書は、著者が、これまでに出版した書籍を合冊した統合版シリーズの書籍である。
合冊された書籍を上げておくと、「パワークラウド」「パワークラウドの本質」
「エマーソンの世界」「ソローの世界」「ゲーテの世界」
「今を生きる私たちへのシアトル酋長からのメッセージ」の六つである。
これらに共通しているのは、自由というテーマであり、私の自由についての考えをエッセイとしてまとめたものである。
この本の主要なテーマはアメリカの精神性についてである。
そして、この本の第一部の第三章に、私がボストンに滞在していた時に受け取ったメッセージが載せられている。
このメッセージを送ってきた人は、二代前の私の過去世の方で、エマーソンらとアメリカで生きた時代の方である。
そして、このメッセージの内容は、まさに自由の意味を問うものであった。
ここで出てきているパワークラウドというのは、空に現れる龍や鳳凰などの自然霊で、
私がアメリカに行っていたときに、出迎えてくれたスピリットたちである。
こういうものをバックにして、アメリカの精神性について語っているのが、この本なのである。
④科学からの存在と認識(統合版)
この本は、私の科学的な認識のすべてをまとめてのせてある本であり、
七冊の本を合冊している。
ここに収録してあるのは、「科学の見る世界の奥に何があるか?」、
「存在のエネルギー」、物質論」、「科学を超えて」、「デカルトの夢」、
「ガリレオの真実」、「宇宙の仲間からのメッセージ」である。
この本の第一版は、二〇二二年一月二八日に出版されたが、本書は、このときの版から、
いくつかを増補した改訂版である。
この本のなかで、最も重要な概念は「存在のエネルギー」だろう。
これは、霊的な実在を表現するときの概念(普通名詞)であり、神もスピリットも人間の魂も、
すべてが、存在のエネルギーなのである。存在のエネルギーとは、
ある実在を「存在させる力としてのエネルギー」であり、人間の寿命も、
ある意味では、存在のエネルギーとして位置づけることが出来る。
あと、ひとつ、異色なこととして、本書の最後の第7部には、
「宇宙の仲間からのメッセージ」というのを載せておいた。
これは、その昔、霊媒の力のあるAさんを通して、私に伝えられたものと、
私自身が受け取ったものの両方である。
⑤樹木と森の精霊たち(統合版)
本書には、著者が過去に出版した、次のような樹木や自然に関連するテーマの本を合冊してある。
「森と樹木のはなし」長崎屋源右衛門末裔出版(前版から継続)、
「山の精霊と海の精霊」KDP(前版から継続)、「メタセコイアの木」KDP(前版から継続)、
「石と大地の精霊たち」KDP(前版から継続)、「八ヶ岳とロシアのタイガ」(前版から継続)、
「クミンと黒千石大豆」(前版から継続)、「嬬恋村の自然」(新)、
「精霊たちからのメッセージ」(新)、「エピローグ」(前版から継続)。
この本は、初期に出版した「地球人のための超植物入門」の、ある意味で、
続編にあたるような本であり、ここには、その後私が出会った多くの植物の霊たちとの交流が描かれている。
この植物との交流というのは、私にとって原点のようなところがあり、
その意味では、縮物に関心がある方々には、興味深い内容なのではないかと思っている。
⑥自然農法とは何か?(統合版)
本書は、著者が、過去に出版した農業に関する本を集めて合冊したものである。
合冊したものは、以下のものであるが、バージョンによっては、改訂されているものもある。
「未来の農業を考える」長崎屋源右衛門末裔出版、「農業の真髄Ⅰ自然農法は緻密で精密な農法」KDP、
「農業の真髄Ⅱシュタイナーの農法」KDP、「農業の真髄Ⅲシャウベルガーの農法」KDP、
「農業の真髄Ⅳルーサー・バー―バンクの世界」KDP、
「農業の真髄Ⅴ静電場とエーテル場」KDP、「農業の真髄Ⅵハイポニカの奇跡」KDP、
「農業の真髄Ⅶ未来の農業に必要な霊性」、「自然農法のケーススタディ」KDP、
「雑草は要らない草ではない」KDP、「タイガの森とアナスタシア」KDP、
「稲はどこまで成長するか」長崎屋源右衛門末裔出版、「ねぜ植物も病気になるのか」長崎屋源右衛門末裔出版、
「八ヶ岳にて」などが、含まれている。
手続き上のトラブルがあって、題名を、「自然農法の真髄」から「自然農法とは何か?」に変更したが、
内容は変わっていない。
⑦シュタイナー論(統合版)
本書では、以下の四つの本を合冊して、統合版を出版することにした。
統合した本は、「シュタイナーとカルマとワクチン」KDP、「シュタイナーとカルマと魂の進化」KDP、
「シュタイナーとアカシック・レコードと地球の未来」KDP、「植物のエーテル」KDPである。
シュタイナーの著作は膨大であるが、その中で、私が、特に重要であると思ったものについて書いた本を集めて統合版を作った。
とくに、シュタイナーのカルマ論とアカシック・レコードについての内容に関する私の解釈である。
この本については、シュタイナーの解説本ということではなくて、
最終的には、私がどう思っているかということの中でのシュタイナーであるということである。
日本では、シュタイナー教育については知られているが、
それ以外のシュタイナーは、あまり知られていないかもしれない。実は、シュタイナーが晩年に最も力を入れていたのは、
「カルマ」についての話であり、シュタイナーのカルマ論は、独特のところがあるのと、
彼はカルマを非常に広くとらえている。
本書ではこの部分も含めて、私の解釈を載せてある。
⑧体と病気と健康(統合版)
本書では、私の書いた本のうち、病気と健康というキーワードに関連しているものを合冊して、
統合版として出版することにした。ここに収録した本は、以下の八冊である。
「病気のはなし」長崎屋源右衛門末裔出版、「病気のはなし(増補改訂版)」KDP、
「臓器移植をどう考えるか」長崎屋源右衛門末裔出版、「再生と治癒」長崎屋源右衛門末裔出版、
「新型コロナウイルスをいかに凌ぐか?」、「体を調整する食べ物」KDP、
「ベーグルパンと赤ワイン」長崎屋源右衛門末裔出版、「ホメオパシーとフラワーレメディー」(から抜粋要約)、
「エドガー・ケイシーとウエットセル物語」長崎屋源右衛門末裔出版(から抜粋)。
生物という非常に精妙なものを機械システムとして見て、このシステムが外部から栄養とか水とか酸素を取り入れて、
これをエネルギー源として動いている時に出る総合的な力というような捉え方しかできないからだ。
ただ、生命力というのはエネルギーとして確かに存在しているのである。
これが私の認識である。
こういう立場に立って、病気というものをどう見るかということである。
こういう生命体の不具合が現れるのはなぜなのかということである。
原因は色々考えられるが、それは外から来るというよりは内から来る。
そして、その理由というものがあるということである。
⑨スピリチュアルアート(統合版)
本書は、私が出版した、次の四冊を合冊した「統合版」である。
「スピリチュアルアート水彩編」、「スピリチュアルアート アクリル編」、
「シンプルラインアート いのちの鼓動」、「シンプルラインアート パステル編」。
本書には、全部で415枚の絵を収録した。
実際に描いた絵は、この二倍以上あり、その名から選んだものである。
スピリチュアルアートというジャンルがあるかどうかは分からないが、
絵というものは、どのような人が描くときも、必ず、その人を通して、
自らの思いの中にある観念のようなものを表現するところがあるので、
その意味で、スピリチュアルなものである。
それは、目の前に、描く対象物があって、それを写している場合でも、
写真を撮っているわけではなくて、それをどう感じたか、あるいは、難しく言うと、
どう認識したかを、自ら表現し直しているので、その人の魂の表現なのである。
だから、まさに、スピリチュアルアートなのである。
私は、できるだけ、無心の思いで、筆をとることにしている。
実際には、筆ではなくて、刷毛(はけ)のことが多いのだが。何を描くかということにもとらわれないようにしている。
一言でいうと、筆に任せるのである。
まあ、言葉にすると、何か格好をつけているように見えてしまうが、
こだわりを捨てて描くということかもしれない。
⑩酸化還元電位に映る水の心(統合版)
本書は、著者が水に関して出版した書籍を集めて出版するものである。
合冊する書籍は、以下の四冊である。
「水のはなし」長崎屋源右衛門末裔出版、「属水のはなし」長崎屋源右衛門末裔出版、
「水のこころ」長崎屋源右衛門末裔出版、「コスミック/・フルートと酸化還元電位」(未出版)。
この水の酸化還元電位の測定では、水をいろいろな形態で動かして、
酸化還元電位の測定を行ったが、簡単には、下がらなかった。最初は、300mVを切るのが大変だったが、
ある時期から、300mVをきるようになり、次の目標は、いかにして200mVを切るかということであった。
途中、水止めに使っていたシリコンシーラントがあると酸化還元電位が下がることがわかり、
このシリコンシーラントに触れていない水を、どうやって下げるかということが、次の目標になった。
もうひとつの問題は、普通の水の酸化還元電位を計測するときは、
白金電極が非常に不安定であるということもあり、この点でも苦労した。
この最初の第一部と第二部は、いかにして、シリコンシーラントなしで、水の動きだけで、
酸化還元電位を200mV付近まで下げるかということである。
そして、非常に苦労して、200mV付近の酸化還元電位を達成した記録が示されている。
ひとつ時なのは、松の枝を入れた水で、これは、あっという間に、
200mVを切ってしまった。
杉の枝は、もっとすごく、マイナスまでいった。
このあたりの針葉樹は、どうも普通ではない力があるようである。
後半の第四部と第五部には、コスミック・フルートに触れた水の酸化還元電位と、
私が作った特殊なセラミックで作ったピラミッドに触れた水の酸化還元電位について掲載した。
ここでは、非常に興味深い水の酸化還元電位に関する挙動が現れた。
コスミック・フルートのCF13に触れた水の酸化還元電位は、
221mVまで下がったが、CFを取り出して放置しておくと、
さらに酸化還元電位が下がり続けたのである。
おまけに、となりにおいておいた新しい水まで同調してしまった(377頁~)。
ピラミッドの場合には、119mVまで降下した(四三五頁)。
⑪セラミックとピラミッドとCF(統合版)
本書では、過去に私が出版したセラミックやピラミッド、そしてコスミックフルートに関する書籍を集めて、
統合版の書籍とすることにした。集めた書籍は以下のとおりである。
富士山をヒーリングする(KDP)の一部、コスミック・フルート(未出版本)の一部、
赤いセラミック(長崎屋源右衛門末裔出版)、赤いセラミック資料編(長崎屋源右衛門末裔出版)の一部。
本書を編集するにあたっては、全体に、順番が変わったり、
内容の増補改訂が行われてる部分もある。
この本に書かれている内容は、もともと出版をするつもりでなかったことが含まれているということもあるが、
私の頭の中にだけあって、説明が言葉になかったことも多かったし、
データや写真の整理にも時間がかかったということもあった。
敢えて言っておくと、ここで出てくるセラミックというのは、私が作ったものの中でも、
もっとも時間がかかり、苦労したもので、それでいて、まだ完成していないところがあるもので、
こういう未完成のものを公開するということ自体に抵抗があったが、
それでも、こういうものが参考になる人もいるかもしれないと思い、
決心したところもある。
というのは、私の言っていることは、多くが、目に見えない世界に関わることであり、
そういう中で、目に見えることというのは、これは、これで大事かもしれないと思ったからである。
⑫オーガスタとのコミュニケーション(統合版)
ちょうど、新型コロナウイルスの感染が始まったとされる二〇二〇年の一月の初頭の頃に、
私は、オーガスタという観葉植物に向き合っていた。
この本に出てくる話は、植物の体の中にある電位の変動の話である。
このオーガスタは、随分前に、確か、百均で苗を買って、窓際で育てていたものであるが、
少しずつ大きくなって、ちょうど、この二〇一九年の夏ころから二〇二〇年の初め頃には、
結構なサイズで、私の机の脇にいた。
そして、私の植物の電位測定の相手を、一番メインでしてくれたのが、このオーガスタだったのである。
あれから三年以上が経ち、コロナもあけて、今では、このオーガスタは、
私の書斎から、居間の方に移動して、気持ちよさそうに伸びている。
南の私の部屋にいたときよりは、北の居間の方が合っているのだろうか?とても大きくなってきた。
実に、このオーガスタには、感謝をしている。
この本を書くにあたって、多大な貢献をしてくれたからである。
なお、本書は、過去に出版した本のうち、「植物の生体の電気と磁気」
及び「未来の農業を考える」から一部を掲載しているが、全体に編集し直している。
⑬おかねのはなし(統合版)
今の世の中で、マウスのワンクリックで多額の利益が生み出されるような世界というのは、
まさに、この小悪魔の魔法のようにも見えてしまう。
そして、お金というものに、本質的に価値があるのかという、
原理的なところが問われているということでもある。
まあ、それだけ、お金には魔力があるということなのだろう。
今の時代の情勢に、何故かマッチする話なのである。
この世界は、一見、お金に支配されているように見える。
しかし、よく見てみると、そうではないところも見えてくる。
どうしてこうなっているのかというと、それには結構深いところに原因がある。
それは、私たちの目には見えないものがあるからだ。
目に見えないものがあるのか、ないのかという、その部分に秘密が隠されているのである。
その目には見えないものに、自らの洞察力で迫ることができる人には、その奥にあるものが開かれてくる。
そういうことなのかも知れない。
本書の中では、このお金のことについて、その本質は何であるのかということを考えてみたいと思っている。
⑭新型コロナウイルスと地球の温暖化(統合版)
ウイルスのウイルスたる働きがどうして生まれるのかというのは、
ランダムな揺らぎの中から生まれてくると考えるのは無理だろう。
こういうことを考えるひとつの材料として、この新型コロナウイルスというのは興味深いところがある。
それは、このウイルスが他のウイルスとは異なる多様な働き方をするウイルスだということがあるからであり、
単に凶悪なだけの存在ではないように見えるところにある。
ということで今回はエッセイの話題として、このウイルスの変異と進化というものを取り上げることにした。
もうひとつの話題は、地球の温暖化である。
新型コロナウイルスについても、地球の温暖化についても、
原データをダウンロードして、独自に確認して解析を行ってみた。
この分野では、世界的に権威があると言われている機関や人たちのほかに、
多くの見解が出ていて、混乱状態にあるが、最後は、自分で判断するしかないだろうという気がしている。
私としては、これはと思う見解を、ここに集めてみた。
⑮地球人のための超科学入門
本書は、私の「地球人のための超入門シリーズ」の第二作目である。
前作の「地球人のための超植物入門」では、主に植物やエコロジーをテーマとしていたが、
本書はかなりスピリチュアルな内容になっている。
この本を通して、読者の皆さんに、科学的認識というものをお伝えしたいと思う。
これは宇宙レベルの科学にアプローチする基本的な認識の枠組みでもある。
そして、宇宙レベルの科学は、霊性の目覚めを前提とする。これまでの地球の文明の中では、
人間の心を対象にした宗教的な世界観と、物質世界を対象にした科学的な世界観が対立していたが、
宇宙レベルの文明の中ではこういう対立はない。
あるのは、哲学的認識と科学的な認識という2つの認識の枠組みだ。
これは、根源的な神の摂理であるとか、宇宙の摂理というものを、
別の角度から捉とらえようとするものである。
だから、宇宙的なレベルのマスターであるような存在たちは、当然のことながら、
この二つの認識を自らのうちに持っている。
地球の言葉で分かりやすく言い換えれば、宗教と科学の本質を一つの対象として語るということである。
⑯日本のニコラ・テスラ ミスターカタカムナ
本書は、天野成美さんとの共著の本で、私の担当は、第二部の「楢崎皐月の科学者魂」の部分である。
実は、この本の原稿を準備している時期に、楢崎皐月の炭油の製造に関する本や資料が偶然、
手に入ってしまった。
だから、この本の中に、この炭油の製造法のエッセンスを入れておいた。
カタカムナの関係者で、こういうものを観たことがある人は、ほとんどいないのではないかと思うので、
その意味では、本書は、特異な本であると言えるかもしれない。
楢崎皐月という人は、縁あって、カタカムナを入手し、これを解読した人であるが、
科学者としても異能の人であり、この楢崎皐月のことについて、本書では詳しく解説している。
⑰シュタイナーの本質(上)
シュタイナーの植物論を中心に、この上巻では、取り上げる。
とは言っても、単なる植物の話ではない。
ここで出てくるのは、物質と霊性の関係であり、
エーテルとかアストラルとかというエネルギーの話であり、太陽系の惑星のエネルギーが、
植物の成長に、どう関わっているのかということが中心になる。
これは、シュタイナー農法の核になるものであり、彼の農業講座の中で語られたものである。
ただ、これは、単なる植物に関する栽培法というようなものを超えて、
生物というものが、いかに、この世界の中で生きているのかということを、
エーテル論の中で説明されていて、人間の体にも関わるはbな師であり、「上」では、この植物論のところから切り込んでいく。
⑱シュタイナーの本質(下)
下巻は、一転して、人間に関わることがテーマになる。
最初に、ホメオパシーを鳥毛、医学の講義の中で取り上げられた、
人間の肉体の仕掛けが出てきて、その後で、カルマ論の話になる。
シュタイナーの晩年のテーマはカルマ論で、この部分の講義は、膨大な量があるが、
これについて、簡単に触れている。
そして、最後は、ミカエル瞑想の話で終わっている。
このミカエル瞑想というのは、シュタイナーが晩年に、
もっとも言いたかったことであると思われるが、簡単に言うと、
ミカエルのエネルギーにつながるようにと言っていて、それが、
来るべきカリユガの時代(暗黒の時代)を乗り切る方法であると、彼は言っている。
このもっとも、本質的な部分を、ここでは説明している。
ヒカルランド
ヒカルランドより出版(2025.4~)
①シュタイナーの本質(上)
②シュタイナーの本質(下)
PAINTINGS
龍の舞:2016.12.5制作。キャンバスボード3F。アクリル画
ピラミッド:2015.6.23制作。
「スピリチュアルアート水彩編」p.29より。
ミカエル大天使
YOUTUBE 超植物入門チャンネル
第1回 アジサイの精の話(2019/6/6)

YOUTUBE サイエンス・ビヨンドチャンネル
第1回 ワクチンの有効期間(2021/08/02)

YOUTUBE スピリチュアル・ビヨンドチャンネル
第1回 いま霊性の目覚めの時(2022/3/15)

500本の茎が出た稲の栽培
筑波大学に在職していた当時、何年か自室で稲を育てていたことがあった。 今から二十五年ほども前のことである。 専門はコンピュータであったし、不釣り合いなことではあったが、 私としては、どうしてもやってみたいという思いを止めることができなかった。 専門外であることをいいことに、独自のやり方をとることになったが、 それでも面白い知見が得られたということである。 幸い、育てた稲は、一粒から五百本以上の茎が出て、巨大な株に成長してくれた。 花も咲いたし、実も実った。 研究成果として見るには、事実の記録の仕方や検証の仕方に甘いところがあるが、 一度だけの試行で、再現性を求めるところまではいけなかったし、 そもそも再現性のないことに踏み込んでいたということもある。 栽培法ということでは、やっているうちに面白い栽培法に行きついた。 培養液を、ものすごく薄くしていく方法である。 この本では、稀薄輸液栽培法と呼んでいる。 このやり方は、私にはとても理にかなった方法のように思える。
R 19940718

R 19941014

R 19951128

セラミックのピラミッド
このピラミッドは四角推の底辺が上の方にあり、一辺の長さが二十三センチになっている。 最初は二十四センチで作っていたのだが、形を整形しているうちに、 いつの間にか少しずつ小さくなってしまったようである。 あるとき、Hさんに、エジプトのギザの大ピラミッドは一辺が二三〇メートルあり、 二十三センチというのは、ちょうどその千分の一の大きさだと言われた。 それで、サイズをよくよく測ってみたら、二十三センチだということが分かった。 それと、これも以前に作っていたちょうど半分のサイズのピラミッドがあって、 これは底辺を十二センチで作ったもので、これも逆ピラミッドとして作ったものであった。 サイズを測ってみたら、一辺が十二センチはなくて十一・五センチしかないことに気づいた。 それだと、二十三センチのちょうど半分ということになる。 逆ピラミッドの場合は、アクリルの逆ピラミッドの台の上に、 セラミックのタイルをおいていくだけだったが、正ピラミッドにするには、 正ピラミッド用の台を作らないといけない。 もう一つのやり方は、側面の三角形のタイルを一枚にすることで、 四枚の側面のタイルにすれば、自立してピラミッドが立ち上がる。 そこで、それまでのタイルを接着剤で固定して、一体型の側面のタイルを作った。 もう一つは、この側面のパネルの稜線の内側の角度が重要で、 これを正確に合わせないとピラミッドにならない。だから研磨をして微調整を行った。 そうして、このピラミッドが出来上がったのである。
逆ピラミッド

キャプストーン

エドガーケーシーのWETCELLのエンハンス版
このウエットセルという装置の原理は、一言で言うと『波動論』なのであるが、 この波動論というのは今の科学の中にない概念であり、 この波動というのは、もちろん、科学の目では見えない、観測されていないものである。 だから、科学的には摩訶不思議なものとして映るだろう。 だが人間をセンサーとして使えば反応が現れる。 だから全く何もないというわけではない。 ということで、今回はこのウエットセルという装置を取り上げてみることにした。 実は、私自身がこのウエットセルという装置の実験を多少なりとも行い、 装置の新しいバージョンを作ってみた。 この新しい装置は湿電池を使っていないので、もはやウエットセルとは言えない。 ウエットセルと言うより、『ドライセル』だろう。こういうものを作るには、 物質科学の知識だけではなくて、インスピレーションとか直感も重要になる。 直感がどのくらい正しかったのかは、実際に動かして試してみるしかないが、 そういうことになると直観力の非常に強い信頼性の高い被験者の協力が必要になる。
全景

溶液コイル

オーガスタの植物波
静電三法の著者である楢崎氏の残した報告では、植物波というものの存在も指摘されているが、 これは、植物の生体内に存在する、その植物の持つ固有の電気的振動のようなものであり、 これが事実なら、電極を刺せば、何がしら周期的変動電位とか変動電流のようなものが出てくるはずである。 しかし、最初の頃私がやっていた限りでは、そういうものは現れなかった。 現れていたのは直流的な電位差で、植物の二点間に電極を挿入しても、その間には数十ミリボルト、 場合によっては数百ミリボルトのオーダーの電圧が出てくるだけだった。 長い間、こういう計測を続ける中で、私は、ある時に、特殊な電位の計測法を編み出した。 簡単に言うと、ブリッジを使うやり方で、もし植物の二点間に30mVの電位差があったとすると、 この30mVの電位を二本の電極の間に外部的に作ってやる。 そうすると、電流は流れなくなる。 電流が流れるときは、植物の電位が30mVから変化したときだけで、 これは、通常は、非常に小さな電流である。 電極にバイアスをかけて、ベースの直流分を除去して、変化分だけを取り出せるようにするということである。 そして、この工夫をした結果、新たな世界が開けてきたのである。 ナノアンペアの電流の変化をとらえることができるようになったのである。
オーガスタ

プローブ

信号1

信号2

ホメオパシーとフラワーレメディー
本来のホメオパシーというものは、ハーネマンが発見し、 今実際に使われている技術よりは、ずっと広い概念であり、 異なるエネルギー体としての体の部分の間に働く力のメカニズムである。 人間の体も、そして、すべての生き物の体も、今、私たちが思っている以上に複雑で、 込み入っている。 そこには、物質だけではないエネルギーの表現が同居していて、 影響をしあっているのである。 そして、それは、もちろん、物質的なレベルの代謝であるとか、反応というものもあるが、 物質レベルではない力の影響のやり取りがある。 それは、エーテル体としてのエネルギー波動の相互作用であるが、 この相互作用に、ホメオパシー的な作用が関わっているのである。 そして、こういうことを理解できなくては、ホメオパシーの本質は理解できない。 これは、シュタイナーの言うように、霊科学の領域に関わることなのである。
虹の光

虹のレメディー

イベルメクチンのレメディー
